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陽花

Author:陽花
自然が大好き! 
だけど「人」も好き。

子どもの部活追っかけの合間に、
趣味の保存食作り、野菜作りもボチボチ進行中。

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久世光彦さん その1

2012.03.26 16:59| 私の昭和
久世さん



バタバタと気忙しい時に限って、本が読みたくなる。
そんなへそ曲がりな私が、
こんな時に決まって読みたくなるのが、
久世光彦さんの本だ。


それも、もう何回も読んだ本をまた読み直す…。


久世さんならこれをどう思うだろう。
どうぶった切るだろう。
愛想なしな顔で、どう褒めちぎるだろう。


そう思いながら、自分の心のモヤモヤを久世さんに委ねるのだ。


大好きなNHK朝ドラ「カーネーション」も、
実はいつも久世さんと一緒に観ている。
久世さんごひいきの小林薫さんの善作には、
きっとご満悦だろう…と思う。
「運命の人」は久世さんが途中リタイアしたので(笑)
私も観るのを止めた。
「JIN~仁~」は久世さんには内緒にしていた(笑)。
だって、大沢さんや内野さんをけなされるのが怖かったから。


久世さんって、誰?


その2に続く^^


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味覚、今昔。

2011.10.23 17:19| 私の昭和
あけび


「あけび」ご存知ですか?



先週、山奥の実家に帰った際に食べました。



私が育つ頃、子どもたちはこの「甘味」の「とりこ」でした。
学校から帰るとランドセルを土間に放り込んで、山に向かったものです。
まだ熟していないものは、土に埋めたり米びつに入れておくと熟れる…って聞いて、
母に内緒で米びつに入れたのはいいのですが、それをすっかり忘れて…。

はい、大目玉を喰らいました!


それほどまでして食べたかった「あけび」ですが、
久々に食べてみると、


「アレッ? 甘くない…。」


いや、美味しいのは間違いないのです。
懐かしい優しい甘さです。

でも、昔感じた「甘さ」をもう私の舌も脳は感じてくれないというか。


バナナだって同じです。


一度でいいからこんな美味しいものをお腹いっぱい食べてみたいと思った、バナナ。
確か当時1本30円~50円でした。
遠足のおやつが100円までの時代に、買いたくっても買えなかったバナナ。
第一、100円札を持つことがドキドキだったのですから(笑)


そのバナナ、今でも好物ですが、やはりあの時ほど美味しく感じないのはなぜ??



あけびにしてもバナナにしても、「口が肥えたから…」って言ってしまえばそうですが、
それだけなのかなぁと、最近考えます。


遊びごとご馳走、感動ごとご馳走…だったのかもしれませんね。


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ありがとうございます^^

イカルさんと祖母

2010.08.25 16:10| 私の昭和
イカルさんを、ご存知ですか?

NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」、茂さんのお母様です。
絹代…ってお名前なんですが、すぐ怒るんで付いたあだ名が「イカル」。
名付け親は、村井三兄弟です。
「ゲゲゲ」公式サイトに、「イカルが行く」なるコーナーまで出来ています。

こちらからどうぞ!


このイカルさん(劇中では竹下景子さん)、面立ちや服装から言うこと成すことまで、
私の亡き祖母によ~く似ているのです

ひと言で言うと頑固。
曲がったことが嫌いで、人に媚びへつらうことも大嫌い。
かと言って、協調性のない嫌われ者ではなく、言ってるることが一理あるし、
教養と行動力があるので、不思議と人が付いてくるタイプ。
トンチが利くところもあり、どこか憎めない。



「竹やりで米兵が殺せるわけでもないし、バケツリレーで空襲から身を守れるわけでもない。
そんなことは、実はみんなわかっているけど、口に出すと非国民と言われるのが怖くて言いだせんかっただけや。私は変わりもんあつかいされたけど、そんなん構わんと思ってた。」(おおざっぱですが、こんな内容)
と、理不尽な理由から、友達に仲間外れされて悩む孫の藍子に、正義を貫く大切さを切々と説くイカルさん。




              戦闘機


この写真、祖母の古びたアルバムの見開きに貼ってあるものです。

私は自他共に認める「ばあちゃん子」でした。
多分、三文どころかたくさん安かったと思いますよ

夜になると祖母の布団に潜り込み、夜な夜な色んな話を聞かせてもらっていました。
小4の時だったと記憶していますが、この写真について質問しました。

「誰の飛行機やったの?」って。

すると、気難しい顔になった祖母が、
「持ち主は日本軍よ。陸軍省って書いてあったやろ。だけど、本当の持ち主は国民ってことになってる、建前はね。さきの戦争が負け戦ではないかと私たちも気づき始めた頃、『供出』って制度で、家庭の鍋や羽釜、子供の弁当箱まで軍に納めることになってな~。ばあちゃんは、そんなもんまで集めにゃ戦闘機作れんのやったら、もう勝ち目はない。負け戦に羽釜まで出したら、明日からどうやってまま炊くんですか!って、区長さんに食ってかかってな。みんなが白い目で見たけど、ゆずれんかった。しかし、区長さんにも気の毒で、いくらかは供出したとよ。そしてのちに、あんたらが供出したもんでこれができたって、写真貰ったのよ。ばあちゃんは見る気もせんかったけど、あんたのとうちゃんらが喜んで貼ったんよね。陸軍省って、大きく落書きまでしてなぁ。」
と、とつとつと話してくれました。

この頃はまだベトナム戦争が続いており、朝、テレビニュースを点けると「ハノイ発UPI報道、サイゴン発UPI報道」と外電が凄惨な戦況を伝えていました。
それを見ている祖母の顔はいつも険しく、時には涙ぐんでいることもありました。




                手紙
これは高校卒業後、横浜で働いていた私の元に届いた祖母からの手紙です。
本当によく手紙を書く人でした。
古びた辞書を片手に、一字一句間違えないように老眼鏡をずり上げながら書く姿を今も覚えています。

私が初ボーナスで買って送った日傘のお礼が懐かしい文字でしたためられています。
その日傘を差して、博多の長女のところに行ったエピソードが面白おかしく書かれていたり、
父母や妹達のこと、集落の皆のこと、はたまた祖母がやっていた小さな雑貨屋の売り上げのことまで書いてあり、田舎のことがまさに手に取るようにわかってとてもうれしかったものです。

手紙の最後は祖母らしいひと言で締めくくられていました。

「※水前寺の歌じゃないけど、三歩進んで二歩下がる、というふうに落ち着いて行動するごとね。」
(※水前寺清子さんの365歩のマーチのことですね。)
と、おちょこちょいの私を戒めることも忘れてないところが、今読んでも笑えるしありがたいですよね。


イカルさんと祖母、今風に言うと「扱いづらい」人種かもしれませんが、私は大好きです。

「腹が据わっている」のです、二人とも。
今はそんな大人、なかなかいませんものね。

イカルさんに天国の祖母を重ねながら観ると、ゲゲゲがいっそう楽しくなります。
イカルさん、これからもバッサバッサと腑抜けの日本人をやっつけてくださいね


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原クン

2010.08.21 22:07| 私の昭和
第92回全国高校野球選手権…夏の甲子園、終わりましたね~。

一昔前なら、決勝戦の頃は暑さも峠を越え、どこか初秋を感じさせるのですが、
今年は暑さMAXでした。

その中で、興南高校の春夏連覇は素晴らしい快挙ですよね
沖縄のチームというだけで、判官贔屓されていた時代を知っている者としては、
ただただ感無量です。
本当におめでとうございます


さて私、準優勝の東海大相模高校には思い出があります。

同校OB巨人軍監督・原辰徳氏…原クンとは同じ歳です。
大ファン!というわけではなかったのですが、山口百恵ちゃんと同じで、
我ら同級生のスターでしたね
とにかく、高校時代から「華」がある選手でした。
「超高校級」という言葉がマスコミで使われ始めたのも、彼が1年生の夏に華々しく甲子園デビューした頃だと思います。

今でこそ、縦じまのユニフォームは珍しくなくなりましたが、当時はとても垢抜けていてオシャレでした。
その縦じまのユニフォームに、イタイ思い出があるのです。

私は高校時代を熊本県で過ごしました。
高2の5月に、招待高校野球で熊本の藤崎台球場に、飛ぶ鳥を落とす勢いの東海大相模高校がやってきたのです。
東海大相模には原選手だけではなく、熊本出身の津末外野手や村中投手などのスター選手がそろっていて、球場は満員御礼の大フィーバーでした。

地元の東海第二高、今年も大活躍した九州学院もその招待試合に出場していました。
2校とも縦じまのユニフォームで、東海第二は東海第相模と全く同じユニフォームでした。
それが、私達の恥かしい失敗につながるのですが…

試合が終わった後、原クンにサインを貰おうと、友人5人と球場外で待つことにしました。
出てみるとすでに選手の周りは取り巻きでいっぱい!
「あ~ぁ」とがっかりしていると、人ごみから離れた所に、
縦じまのユニフォーム『5』の後姿が目に入りました!

「きゃ~!原クンだ

と、迷うことなく色紙を持って皆で突撃!
追いついて真正面に回りこんでみたら、

「あ、。。。。」

もうおわかりですよね。。。
そうです、東海第二の『5』の選手だったのです

ガッカリなんて思う暇なく、その選手にただただ申し訳なくて。
彼は苦笑いしていましたが、とにかく皆で何回も何回も謝った私たちでした。


どっかにあったな~と探してみたら、出てきました! 
その夏のアサヒグラフ夏の甲子園特集号です。
なぜ大切に保存していたかというと、表紙が我らがヒーロー原クンだったのが一番の理由ですが、
発行日が私の誕生日だったのです。

今から35年も前の懐かしいお話です



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