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陽花

Author:陽花
自然が大好き! 
だけど「人」も好き。

子どもの部活追っかけの合間に、
趣味の保存食作り、野菜作りもボチボチ進行中。

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あの日を忘れない

2011.09.20 23:56|頑張ろうニッポン!
またまた久々の更新になりました。

私は元気です^^

実家の母の介護認定も降りて、介護プランも決定。

来月から週2回、村内にある施設にデイサービスに通うことになりました。

母はその日が来るのが待ち遠しいようです。

ベッドのレンタル、手すり取付や段差解消の工事も、

『今月中には完了させましょう!』

との、ケアマジャーさんの頼もしいお言葉に、肩の荷が少し降りた私です^^

今からも色々問題が起きるでしょうが、

一つ一つ今できることをできる時にやっていくつもりです^^



その母、今日は避難所で一夜を過ごしています。

急傾斜危険区域、土砂災害危険区域、河川氾濫危険区域にある実家。

台風の影響で降り続く雨を警戒して、

村の消防団が避難所に連れて行ってくださいました。

ありがたいことです^^




さて、東日本大震災から半年が過ぎました。

前記事で紹介したカンゴンさんのブログJKTSです。

時が経つのは本当に早い…と私は感じていました。

ところが、この「半年」を読んで、

自分の認識不足を今さらながら恥じている私です。

2ヶ月、3ヶ月、5か月、そして半年と、

彼女自身の環境も立場も変わりつつあります。

しかし、いつでも被災地に向いている彼女の気持ちは変わることはないのです。



今の私はと言えばどうでしょうか。

TVや新聞の報道を見聞きする時は、

いまだに心をえぐられたような気持ちになったり、

復興していく様子に目頭を熱くしますが、

震災直後のように、被災者の方々の気持ちに寄り添うことが、

いつの間にかなくなってしまっているのです。



そして、こうやって自分の住む地域や家族が、

台風の被害に遭うかもしれないと思った時にやっと、

あの3.11の恐怖や絶望が蘇ってくるのです。

喉元過ぎれば…です。恥ずかしい。




東日本大震災後の4月からずっと見続けている被災地のホームページがあります。

津波で壊滅的な被害に遭った宮城県南三陸町馬場中山地区ホームページです。

4月にNHKの震災特集番組でこの馬場・中山地区のことを知りました。



衝撃的でした!



私が生まれ育った地区も住民の結束力が強く、

18年前の祖母の葬儀では、棺桶まで地区の方々が作って葬ってくださいました。

通夜や葬儀の準備も一切「常会」という自治会が仕切ります。

御幣や玉串も瞬く間に作り上げられていきます。

しかし、過疎化・高齢化が一気に進み、今は半分を葬儀社に委ねている状況です。



この馬場中山地区が震災当日から立ち上げた避難所の運営方法は、

私が育った頃の故郷の「常会」のやり方と驚くほど似ていました。

まずは絶対的な指揮を執れる強力なリーダーの存在です。

失礼ですが、いわゆる高学歴の「インテリ」ではありません。

しかし、「生きていくこと、生き抜くこと」のプロフェッショナルとでも言いましょうか。

その才覚、動物的な直感、何が何でも住民を、

この地区を守り抜くんだという気迫に、ただただ圧倒されました。

今の永田町にないものがここには充ち溢れていました。

もちろん、それは現在進行形です。



そして、このホームページは、

もちろんご自身もこの地区で被災なさった方が運営されています。

バリバリの当事者であるにも関わらず、常に一歩引いて物事を見るスタンスが、

私のツボにど真ん中ストライクの直球を投げ込んだのです。



震災から1ヶ月後に立ち上げられたこのホームページ、

一日も欠かさず更新されてします。

淡々とした短い文章とスナップ写真で構成される記事は、

復興していく我が町を見つめる温かさ優しさに満ちています。



原子力保安員の女性問題まで、震災の記事に織り込む愚行をやってのける「マスゴミ」。

どれだけ視聴者の涙を誘うかを、人気のバロメーターにしていたようなワイドショー。



このホームページを読むと、それがどんなに馬鹿げたことか痛感します。

悲しみの中にも喜びもあり、絶望の中にも希望や笑いもあり、

今日を生き抜くための知恵があり、明日に立ち向かう勇気がある。

そして一日一日を正直に生きていくしかないのです。



今年は大きな災害が続き、今まさに台風で大きな被害が出ています。

「頑張れ」は禁句だと言われても、

やはりそれに代わる言葉を私は知りません。




一緒に頑張りましょう!


頑張ろう ニッポン!



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ありがとうございます^^
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被災地から愛が・・・。

2011.04.16 21:25|頑張ろうニッポン!
愛の香り



今日も子どもたちの大会や練習試合で早朝から出動!




二人ともイマイチ気合いの入らない試合で負け、親子ともども不完全燃焼…。
おまけに、半袖でもОKの初夏のような陽射しを浴び、もうグッタリしての帰宅でした。




そこに↑とっても素敵な「シューズキーパー」「モスバッグ」が届いていました!
どちらもハーブがたっぷり入っていて、
取り出した瞬間から我が家のリビングはさわやかな素敵な香りに包まれ、
疲れもすっ飛んでしまいました^^
ゆみたんさん、ありがとうございます<(_ _)>




実はこれ、宮城県仙台市から届いた「愛の香り」なのです。

詳しくはこちらから→「ハーブな毎日」

みな様もぜひゆみたんさんの活動にご協力お願いいたします<(_ _)>


---------------------


子どもたちがお世話になってるテニスショップの社長さんが、
3月末に被災地に支援物資を届けてくださいました。


行政サイドの方針とずれがあり、ならば自分でと往復4000キロの道のりを、
かねてからテニスを通して交流のあった陸前高田に4tトラックを走らせられたのです。


実際に被災地に入ってみると、行政サイドは取り扱わなかった中古の衣料が喜ばれたりとか、
実際に必要とされているものが情報とかなり違っていたそうです。
新品1枚より中古を数枚の方が、入浴も洗濯もままならない被災者の方々にとっては、
ありがたいのだと思います。
ハンガーやスリッパが全くないと言われ、
あわててこちらの仲間に調達を依頼したとも話されました。


また、話し相手を欲しがる方も多かったそうです。
避難所では当然のことながら皆さん被災者なので、
そうでない人にとにかく話を聞いて欲しいと言われたとか。
「傾聴ボランティア」なども必要なのかもしれません。


現実的な話としては、現金の手持ちがない方も多かったそうです。
せっかく移動販売車が避難所にやってきても我慢するしかないわけです。


辛すぎませんか?


いやと言うほど苦しみを味わっているのに、こんな些細な願いがかなわない現実。


私もわずかばかりですが、様々な機関を通して義援金を送らせていただきました。
それが、いつ、どうやって被災者の方々に分配されるのか。
とにかく、ひとり1万円ずつでもいいからいすぐにでも現金を渡して欲しい…、
などと考えるのは、ただの主婦感覚なのでしょうか。


メディアを通して、毎日被災地の状況を目にし耳にするたびに悶々としている私ですが、
ゆみたんさんの届けてくださった「愛の香り」は、私の心を優しく包んでくれました。


ゆみたんさん、ありがとうございました!





被災地に希望と花を届けよう!
陽だまり家族
 陽だまり家族を応援します^^


私の被災体験

2011.04.13 15:52|頑張ろうニッポン!
月初めに東京在住の妹が帰省し、久々に山奥の実家に三姉妹が憩うことができた。

話題はもっぱら東日本大震災。
直接的な被害は受けていなくても、スーパーの商品が品薄になり、
こちらに帰省して久々に牛乳を飲んだという妹。


「これが夏場だったらもっと大変だったかもしれないね」と話しながら、
電気・ガス・水道がストップした生活を想像してみた。
東京の妹・次女は都心に住んでいるので、クーラーなしではとても暮せないという。
私や近くに住む三女はクーラーにはさほど依存していない。


そして実家にはクーラーはない。
ない、というよりいらない。
九州山脈の標高の高い場所に位置し、おまけに川縁で谷底のような所に実家はある。
ハザードマップでは「急傾斜危険区域」「河川氾濫危険区域」「土石流危険区域」
などと「危険」でいっぱいの場所だ(苦笑)。


実際に「危険」な目には何回も遭いながら私たちはここで育った。
それでもここから立ち去る気持ちは、母にも亡き父にもなかった。


実家は「My水道」だ。
もちろん無料(笑)。
山の湧水をタンクに溜め水道管に引いている。
夏は冷たく冬は温かい、それはそれは美味しい水だ。
昔はこの水でスイカやキュウリ、トマトを冷やして冷蔵庫代わりにしていた。


その湧水が流れ込む実家のすぐ前の川の水温は、真夏でも14度くらいだったと記憶している。
この川で朝から夕方まで水浴びしていた幼い頃。
30分も水に浸かっていたら、唇が紫色になり歯の根が合わなくなる(笑)。
それでも太陽でジリジリ焼け熱くなった大きな岩に腹這えば、
またたく間に体温が回復してきてまた、ドボ~~ン!と飛び込んでいた。
洗濯もすすぎはこの川でやっていた。
洗いは風呂場で洗濯板とタライだ。
クーラーどころか扇風機もいらなかったし、
冷蔵庫、洗濯機がなくてもさほど不便ではなかった。
我が家だけではなく、どの家庭もそうだった。


私の記憶だと、洗濯機と冷蔵庫が我が家にやってきたのは私が小4の頃。
そう、昭和43年くらいだったと思う。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」より10年遅れて…である(笑)。


内陸部なので日中の気温はかなり高くなるが、川面や木々の間を通り抜ける風はひんやりと心地よい。
それどころか朝夕は肌寒かったりする。
逆に冬の寒さは厳しく南九州とは思えない。
積雪で学校が臨時休校になったことがあるくらいだ。
どんなに寒かったかというと、洗濯物がよく凍っていた(笑)。
寒の時期など、父が獲ってきた猪肉を北側の軒下にぶら下げておくと、
それも凍っていた(汗)。
干し柿も凍っていたな~。
炭を熾した火鉢や囲炉裏に、凍えた小さな手をかざして温めたことが懐かしい。


私が小学校の頃、山津波(土石流)で床上浸水した。
次女は父に、三女は母に、私は住み込み従業員のおにいさんに背負われて、
命からがら裏山に走り上り九死に一生を得たのだった。
普段は水浴びや魚釣りを楽しむせせらぎが、
大きな濁流となり眼下を猛烈な勢いで流れて行った。
可愛がっていた猟犬は犬小屋ごと流された。
今でも時々うなされるくらいの辛くて怖い記憶だ。

私たちが助かったのは、父の勘が働いたからだ。
台風で増水していた川の水かさが急に減り始め、泥の匂いが漂ったという。
山から流れ込んだ崩土や木で一時的に水が堰止められ、
それがMAXになった時に一気に流れ出るのが山津波だ。

この災害で1週間ほど停電になったが、
電気製品が電灯とTVしかなかったのでほとんど困ることはなかった。
土間には大きなかまどが2つあり、煮炊きは全てここでやっていた。
もちろん風呂も薪で沸かす五右衛門風呂だった。

この災害の後には、父と母で石と生コンで堤防を高くした(スゴイ!)。
それでもその数年後にまた山津波に襲われた。
それが丁度、洗濯機や冷蔵庫が我が家にやってきた頃である。

ないよりあった方が便利で、おかげでこの頃初めて牛乳なるものを飲んだ(笑)。
それまでは学校で時々出される「脱脂粉乳」しか飲んだことがなかった(汗)。
その牛乳も冷蔵庫にしょっちゅう入っていたわけではない。
じゃ、冷蔵庫には何が入っていたのか…あまり覚えていないのである(苦笑)。
こんな感じだから、再び災害に遭って停電しても困らなかった。


台風がやってくる前には、母は釜で炊いたご飯でおむすびをたくさん作り、
父は川の魚が流されてしまわないうちにと、釣ったり投網をして備えた。
焼畑の野菜も、ばあちゃんがあわてて採り行っていた。


そして台風が通り過ぎるのを息をひそめて待った。
台風後、数日は増水しているので川には近寄れないが、
水が元の透明さを取り戻すのを待ち構えて、また大人も子どもも川に集うのである。


自然は時に猛々しく牙をむく。
それは人や人が築いたものだけではなく、己が育み創造したものにも、である。
咲き誇る桜を見上げながら、その意味を考え込んでしまうこの頃である。
こういう時に人は信仰を求めるのかもしれない。
「天罰だ」などと失言してしまった首長がいたが、
それは違うと私は思っている。
人間を慈しんで温かく包み込んでくれる大いなる自然。
そんなに懐は浅くないと思うからだ。
天災に遭った時にただ恐れるだけではなく、
こうやって思い悩んだりしながら、大いなるものに畏敬の念を持つこと。
それがまたその場で立ち上がるためのパワーのひとつになるのかもしれない。


桜前線が例年より遅れながらも一気に北上していると聞く。
桜ほどこの日本に似合う花はないと思う。
地震や津波にも負けず凛として咲く桜が、
どうか被災地の方々の心に春風を運んでくれますように。



被災地に希望と花を届けよう!
陽だまり家族
 陽だまり家族を応援します^^



 
   

希望のメロディ

2011.04.03 08:27|頑張ろうニッポン!
TBS日曜劇場「JIN~仁~」いよいよ2週間後に放送開始です!


Youtubeで素晴らしい演奏の動画をみつけました!

JINのメインテーマを弾く天才少年!(少女?)

聴いているうちにお腹の底からムクムクと勇気・元気・やる気が湧いてきませんか?

このメインテーマにはドラマ同様、日本人のDNAに訴えかける「何か」があります。



今日はお花見に出かけてきます。

美しい山桜を撮影してきますね~~^^









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ありがとうございます^^ 

花に託す想い

2011.04.02 10:15|頑張ろうニッポン!
            

                    陽だまり家族


ブログ「木漏れ日」のmimozaさん

↑東日本大震災応援プロジェクト「陽だまり家族」を立ち上げて下さいました。
               
                   こちらから→「陽だまり家族」記事




私は花が大好きです。
それも、野生種に近いような素朴な花に惹かれます。


ズボラなので、我が家の庭は勝手に生えてきて勝手に咲くようなものがほとんどです。
球根類や多年草とか宿根草ですね。


1年草でも落ち種で立派に育つものもあります。
例えば今の季節だとノースポール。
これはもう我が家に7.8年居候しています(笑)
IMG_6075.jpg


「ただいま~!」とばかり元気に芽吹きだしたのがストロベリーフィールド。
千日紅の一種です。
こんなに悪条件の場所なのに、毎年帰って来てくれます。

<現在>
IMG_6082.jpg
          
          ↓  ↓
<昨夏>
IMG_5564.jpg

<現在>
IMG_6083.jpg

          ↓  ↓
<昨夏>
IMG_5682.jpg



北西の半日陰ではアシュガがふきのとうと仲良く肩を寄せ合って咲いています。
よく観察すると、この場所だけは垣根の間からの陽が射し陽だまりができるのです。

IMG_6084.jpg


植物は与えられた生を全うし、次世代にバトンを渡すために花を咲かせ続けます。


例えば、私がこの世を去ったとしても、
花々は季節が巡る度にこの庭を彩ってくれるに違いありません。




震災から3.4日後だったかこんな報道がありました。



津波で家の跡形もなくなった瓦礫の中に、梅の幼苗が蕾をつけていました。
手で折ればポキッと折れそうな細い苗は、
それを愛しそうに撫でるおばあちゃんが、お孫さんの誕生記念に植えられたのだそうです。


   「津波に負けずに残って花を咲かせようとしているんだから、
     きっと孫も生きていますよね。」


自分に言い聞かせるようにそう言われたおばあちゃん。



植物の発芽・芽吹きや開花には、人を勇気づけるパワーがあると私は思います。



今はまだ花を愛でる気持ちにはなれないかもしれないけれども、
時が過ぎて季節が巡れば、少しは心に余裕ができるのではないでしょうか。
逆に辛い現実の挟間で花を眺めることが、一瞬その辛さを忘れさせてくれるかもしれません。



「陽だまり家族」の趣旨に賛同し,協力させていただくことにしました。


届け先や時期等の詳細はまだはっきり決まっていませんが、
とりあえず我が家の庭にある花々を株分けしたり、挿し芽や挿し木をしてポットに植えておくつもりです。
個人向けだけではなく、学校や避難所・公民館などの公共施設へ送る方が植栽スペースがあるかもしれませんね。



被災地にももうすぐ本格的な春がやってくるでしょう。


瓦礫が取り除かれた跡地に、
春を待った植物たちが再び花を咲かせてくれることを私は信じます!









カンゴンさんへ

2011.03.30 21:09|頑張ろうニッポン!
『私が知りたかった被災地の現実。

メディアというフィルターを通さない現実。

あなたが私の娘なら、背中からギュッと抱きしめたいです。

よく頑張りましたね。

地上に舞い降りた天使かもしれない。

あなたも瑠奈ちゃんも。

水も電気もない分娩室で誕生した赤ちゃんも。

また、被災地に旅立たれるのでしょうね。

泣きたい時は泣いてくださいね!

カンゴンさん、応援してます。』



ある方のブログから「カンゴンさん」のブログを知りました。

災害対策支援医療チームのナースとして、

陸前高田市で救援活動をされた方の渾身の救援記録です。

ぜひ一人でも多くの方に読んでいただきたいです。

↑の文章は私がその方のブログに書き込むつもりだったコメントです。

が、2000件以上のコメントは受け付けられませんとエラーが…。

でも、伝えずにはいられませんでした。


   こちらから→JKTS
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