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陽花

Author:陽花
自然が大好き! 
だけど「人」も好き。

子どもの部活追っかけの合間に、
趣味の保存食作り、野菜作りもボチボチ進行中。

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私の被災体験

2011.04.13 15:52|頑張ろうニッポン!
月初めに東京在住の妹が帰省し、久々に山奥の実家に三姉妹が憩うことができた。

話題はもっぱら東日本大震災。
直接的な被害は受けていなくても、スーパーの商品が品薄になり、
こちらに帰省して久々に牛乳を飲んだという妹。


「これが夏場だったらもっと大変だったかもしれないね」と話しながら、
電気・ガス・水道がストップした生活を想像してみた。
東京の妹・次女は都心に住んでいるので、クーラーなしではとても暮せないという。
私や近くに住む三女はクーラーにはさほど依存していない。


そして実家にはクーラーはない。
ない、というよりいらない。
九州山脈の標高の高い場所に位置し、おまけに川縁で谷底のような所に実家はある。
ハザードマップでは「急傾斜危険区域」「河川氾濫危険区域」「土石流危険区域」
などと「危険」でいっぱいの場所だ(苦笑)。


実際に「危険」な目には何回も遭いながら私たちはここで育った。
それでもここから立ち去る気持ちは、母にも亡き父にもなかった。


実家は「My水道」だ。
もちろん無料(笑)。
山の湧水をタンクに溜め水道管に引いている。
夏は冷たく冬は温かい、それはそれは美味しい水だ。
昔はこの水でスイカやキュウリ、トマトを冷やして冷蔵庫代わりにしていた。


その湧水が流れ込む実家のすぐ前の川の水温は、真夏でも14度くらいだったと記憶している。
この川で朝から夕方まで水浴びしていた幼い頃。
30分も水に浸かっていたら、唇が紫色になり歯の根が合わなくなる(笑)。
それでも太陽でジリジリ焼け熱くなった大きな岩に腹這えば、
またたく間に体温が回復してきてまた、ドボ~~ン!と飛び込んでいた。
洗濯もすすぎはこの川でやっていた。
洗いは風呂場で洗濯板とタライだ。
クーラーどころか扇風機もいらなかったし、
冷蔵庫、洗濯機がなくてもさほど不便ではなかった。
我が家だけではなく、どの家庭もそうだった。


私の記憶だと、洗濯機と冷蔵庫が我が家にやってきたのは私が小4の頃。
そう、昭和43年くらいだったと思う。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」より10年遅れて…である(笑)。


内陸部なので日中の気温はかなり高くなるが、川面や木々の間を通り抜ける風はひんやりと心地よい。
それどころか朝夕は肌寒かったりする。
逆に冬の寒さは厳しく南九州とは思えない。
積雪で学校が臨時休校になったことがあるくらいだ。
どんなに寒かったかというと、洗濯物がよく凍っていた(笑)。
寒の時期など、父が獲ってきた猪肉を北側の軒下にぶら下げておくと、
それも凍っていた(汗)。
干し柿も凍っていたな~。
炭を熾した火鉢や囲炉裏に、凍えた小さな手をかざして温めたことが懐かしい。


私が小学校の頃、山津波(土石流)で床上浸水した。
次女は父に、三女は母に、私は住み込み従業員のおにいさんに背負われて、
命からがら裏山に走り上り九死に一生を得たのだった。
普段は水浴びや魚釣りを楽しむせせらぎが、
大きな濁流となり眼下を猛烈な勢いで流れて行った。
可愛がっていた猟犬は犬小屋ごと流された。
今でも時々うなされるくらいの辛くて怖い記憶だ。

私たちが助かったのは、父の勘が働いたからだ。
台風で増水していた川の水かさが急に減り始め、泥の匂いが漂ったという。
山から流れ込んだ崩土や木で一時的に水が堰止められ、
それがMAXになった時に一気に流れ出るのが山津波だ。

この災害で1週間ほど停電になったが、
電気製品が電灯とTVしかなかったのでほとんど困ることはなかった。
土間には大きなかまどが2つあり、煮炊きは全てここでやっていた。
もちろん風呂も薪で沸かす五右衛門風呂だった。

この災害の後には、父と母で石と生コンで堤防を高くした(スゴイ!)。
それでもその数年後にまた山津波に襲われた。
それが丁度、洗濯機や冷蔵庫が我が家にやってきた頃である。

ないよりあった方が便利で、おかげでこの頃初めて牛乳なるものを飲んだ(笑)。
それまでは学校で時々出される「脱脂粉乳」しか飲んだことがなかった(汗)。
その牛乳も冷蔵庫にしょっちゅう入っていたわけではない。
じゃ、冷蔵庫には何が入っていたのか…あまり覚えていないのである(苦笑)。
こんな感じだから、再び災害に遭って停電しても困らなかった。


台風がやってくる前には、母は釜で炊いたご飯でおむすびをたくさん作り、
父は川の魚が流されてしまわないうちにと、釣ったり投網をして備えた。
焼畑の野菜も、ばあちゃんがあわてて採り行っていた。


そして台風が通り過ぎるのを息をひそめて待った。
台風後、数日は増水しているので川には近寄れないが、
水が元の透明さを取り戻すのを待ち構えて、また大人も子どもも川に集うのである。


自然は時に猛々しく牙をむく。
それは人や人が築いたものだけではなく、己が育み創造したものにも、である。
咲き誇る桜を見上げながら、その意味を考え込んでしまうこの頃である。
こういう時に人は信仰を求めるのかもしれない。
「天罰だ」などと失言してしまった首長がいたが、
それは違うと私は思っている。
人間を慈しんで温かく包み込んでくれる大いなる自然。
そんなに懐は浅くないと思うからだ。
天災に遭った時にただ恐れるだけではなく、
こうやって思い悩んだりしながら、大いなるものに畏敬の念を持つこと。
それがまたその場で立ち上がるためのパワーのひとつになるのかもしれない。


桜前線が例年より遅れながらも一気に北上していると聞く。
桜ほどこの日本に似合う花はないと思う。
地震や津波にも負けず凛として咲く桜が、
どうか被災地の方々の心に春風を運んでくれますように。



被災地に希望と花を届けよう!
陽だまり家族
 陽だまり家族を応援します^^



 
   
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