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陽花

Author:陽花
自然が大好き! 
だけど「人」も好き。

子どもの部活追っかけの合間に、
趣味の保存食作り、野菜作りもボチボチ進行中。

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これでまた頑張れる!

2011.08.15 16:48| 未分類
久々の更新です。

お休みしている間に、たくさんの「拍手コメント」いただきました。

ネットのつながりなんてリアリティがない…なんて声も聞きますが、

とんでもありません、とれだけ皆さんのお言葉に励まされたことか…。

本当にありがとうございましたm(__)m



現在の状況は、とりあえず後退はしていない…って感じでしょうか。

母は現在、実家で今まで通り独り暮らしをしています。

我が家に2週間滞在して、歩行はほぼ以前と変わらずできるようになりました。

ただ寝た姿勢から起き上がるのがまだ大変です。

でも、起き上がることにも痛みにも、少しずつ慣れてきています。

認知症の方は、パニック状態は落ち着きました。

昨冬、MRI検査をした時、

「脳の委縮は中程度で、独り暮らしができていたのが不思議。」

と医師からも驚かれたくらい、生活能力や受け答えはしっかりしていました。

記憶力・認知力の検査でも、健常者とさほど変わりませんでした。

元々明るく前向きで社交的な性格で、おまけに体を動かすのが大好きなので、

一重にそれが幸いしたのだろうと思います。



ただ、生活していく上でイレギュラーなことが起きると、一気に症状が出てしまうのです。

地デジテレビに買い替える時がそうでした。

勘違いと思い込み、それに同じことを繰り返し言い続ける…。

パニック状態になり、血圧上昇し胃腸症状も一気に悪化する。

独りでいることが恐ろしく感じ、かと言って誰かとコミュニケーションをとりたがらない。



今回の腰椎圧迫骨折の時もそうでした。

言ってることが支離滅裂で、時間の観念が全くなくなり、

今が何月何日なのか、季節は何なのか、夜なのか昼なのかわからなくなる。

それどころか、自分が「腰椎圧迫骨折」だということを認識していませんでした。

だから、痛み止め注射で痛みが和らいでいるだけなのに、

働き者の母は安静にしていようなんておもわず、

梅干しのシソ積みをしたり、台風通過後の後片付けをしたり、

動けなくなるまで働いてしまったのです。

可哀想過ぎます。

骨折したのが7月11日。

私に真夜中のSOS電話をしてきたのが、7月21日。

7月17日には、私と息子、妹と甥っ子で、台風が接近しているからと、

母を私の家に避難させようと迎えに行ったのです。

その時不覚にも、私たちはすっかり母の言葉を鵜呑みにしてしまいました。


「ただのぎっくり腰。筋を違えただけよ。」


母は本当にそう思い込んでいたのです。

そして、22日に妹が母を村の診療所に連れて行き、色んな事が発覚したのです。

寒村の診療所にやっとこの春赴任してくださった若いM医師。

母はそのM医師の医療ミスで自分がこうなったと思い込んでいること。

注射の前に承諾書を書かされて押印までしてしまったから、

文句は言えないけど、注射の時に痛くてM医師を叩いたと思い込んでいること。

じゃあ、なぜぎっくり腰と思い込んでいるかは、不明。



我が家に連れてきた22日の夜は、↑のことを繰り返し繰り返し訴えていました。

でも、丁寧に母の話の絡まった紐を解くように説明していくと、

ある時、ハッと間違っていたことに気付く母でした。

が、翌日はまた元に戻る(悲)。

でも、また同じように話をすると、「ああ、そうだった、勘違いしていた。」

と笑い話になったりで。



結局、この繰り返しなんですね、認知症に付き合うってことは。

腰椎圧迫骨折に関しては「病気との闘い」ですが、

認知症は「患者との闘い」です。


私の夫も10年前の脳外科手術の後遺症で、重くはないですが「高次機能障害」になってしまいました。

これも同じです、病気とではなく夫との闘いの日々が10年間ずっと続いています。

随分慣れましたけどね(苦笑)。

術後は私のほうが、完全にパニックでした。

父が亡くなって1年後、娘は小1で、息子は2歳でした。

Mの国⇔東京を行ったり来たりの闘病生活でしたが、

しっかり者の娘と、義母・実母が私を支えてくれました。



この時は母は「じいちゃん(私の父)が入院中は○ちゃん(夫)はよくしてくれたから恩返しよ。」

とよく言っていました。

父が入院中にたくさん手を貸して下さった方も、

父に恩返しをしたいと言ってお世話をしてくださいました。



「義理と人情」…大好きな言葉です。

本来、日本人のDNAにはしっかり刻み込まれているはずですが、

なかなかそれに出会うことが少なくなってきました、悲しいことですが。

でも、夫も子どもたちも母に世話になったこと、可愛がってもらったこと、

口には出しませんが、想ってくれているようです。

ありがたいことです。



我が家から実家まで車で山道を走って2時間弱。

行ったり来たりは大変ですが、母はやはり自分の家が一番いいようなので、

その気持ちを尊重しながら、しっかりフォローしたいと思っています。

行かない時は1日3回の電話で他愛もないおしゃべり。

笑ったり喧嘩をしたり(苦笑)。

ご近所の方や、幼馴染にも状況を話して、いざという時のフォローをお願いしています。

母の妹…叔母も隣町に住んでいますし、とりあえずしばらくは様子を見てみようと思っています。

そうそう肝心なことを忘れていました。

月末には介護認定の申請をすることにしました。

小さな村なので、手続きも小回りが利いて、一日で終わらせてくださるそうです。

これまた、ありがたい。



昨日は妹一家とお盆の里帰り。

独り暮らしを心配していた子どもや甥っ子も、

思ったよりは元気なばあちゃんに安心した様子でした。




さてここで突然ですが、私は明日から1泊2日でお江戸に参ります!

4年ぶりの上京です。

墨田区在住の妹、勤務先の同僚だった友人、学生時代の友人にも逢ってきます。



でも、一番の目的はと言えば…(引っ張る~!)、

そうです、愛しの君に逢って参ります!

某日某所某時間、濃厚な時間を過ごして参ります^^


様々な事情から、最初は参加をあきらめていましたが、

娘から強力に背中をプッシュプッシュされました。

また、「地方枠ですか?」って思うくらいの良席をいただき、

飛行機もキャンセル待ちをギリギリで確保できました。



夫もいつも爆弾を抱えているような体で、それに母まで加わり(泣)、

このタイミングを逃したら、二度とこういうチャンスはないと、

思い切って飛び降りましたよ~、清水の舞台から(笑)。



「10年先100年先を知ったところで、日は一日一日明けていくだけじゃ。

一歩一歩進むしかないがじゃ、ワシも先生も。地を這う虫のように。」


               <TBSドラマ「JIN~仁~」前作最終話より>


そうです、↑内野さんに逢って参りますよ~!

自分の人生全てを受け止め、清々しくこう言い放った内野龍馬の表情、最高でした!



この台詞、前作・完結編を通して私が一番好きな言葉です。

今回もどれだけこの言葉に支えられたことか。

そしてこれからも道しるべにしたい言葉です。


では、行って参ります!

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